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映画『サブスタンス』感想:「あなたには、価値があるのか?」という恐ろしくも悲しいセルフチェックテスト

the substance 映画
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フランス語圏からやってくる映画は、しばしば我々を気まずい気持ちにさせてくれる。いや、褒め言葉である。『アメリ』のようにポップな可愛さで不安を麻痺させてくれる作品もあれば、『預言者』のようにリアルが骨の髄まで染み込んだ作品もある。そして今回取り上げる『サブスタンス』は、まさしくその中間に突き刺さる、不安と寓話の綱渡りのような映画だ。

主演はあのデミ・ムーア。まるで90年代からタイムスリップしてきたかのように、その若さと美貌を保った姿で登場するのだが……この映画が言いたいことを最後まで観ると、「うわ、その姿で主演するのズルすぎるだろ」と思わず口にしたくなる。なぜなら本作のテーマは、まさに“若さ”という幻想、そして“価値”という名の呪いについてだからだ。

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「若くないあなたには、価値がないのです」と、誰が決めた?

まず、物語の構造はシンプルだ。かつてテレビの世界で活躍していた女優エリザベスが、加齢により徐々に業界から冷遇されていく。彼女はある治療法──いや“製品”──「サブスタンス」を用いて、かつての自分の“若さ”を物理的に取り戻す。

「やった!若返ったぞ!」という歓喜は、当然長くは続かない。ここから先は、人生でも映画でもお決まりの地獄が待っている。

若返ったエリザベス、つまり「スー」(マーガレット・クアリー)は、見た目は若いが中身は別人格のようでもあり、どこか“切り離された自我”のような存在として描かれる。そしてこのスーが、エリザベスという“老いゆく本体”を、どんどん邪魔者扱いしていくのである。

──あれ、これって結局、誰が誰を見下しているの?

この映画の凄みは、ここにある。劇中でエリザベスがスーにぞんざいに扱われる展開は、当然ながら「若くない=無価値」という社会の残酷なメッセージを体現している。しかし、よく考えればスーとエリザベスは同一人物。つまり、ぞんざいに扱っているのは“他人”ではなく、“自分自身”なのだ。

鏡の中の自分を、値踏みしていませんか?

筆者がこの映画を観て思い出したのは、ある友人の一言だ。

「自分が価値ある人間かどうか、他人から見てどうかって、結局それを一番気にしてるのは自分自身なんだよな」

まさにそれが『サブスタンス』の核心だと思う。エリザベスにとっての価値は「若さ」だった。それを失ったことで、自分で自分を“無価値”とジャッジしてしまった。そしてスーという、まるで外付けHDDのように美しく若い身体を持つ別人格を生み出し、そのスーによって“本体”の自分が否定される。

──エリザベス、君はいったい何がしたかったのか。

これはもはやホラーだ。ゾンビも幽霊も出てこないが、最も恐ろしいのは「自己価値の自己評価が崩壊する瞬間」である。自分の中で自分が崩壊していく。その過程が、ここまで鮮烈に描かれる映画はなかなかない。

スーはエリザベスの意思?分裂した自我の皮肉な完成形

ここで重要なのは、スーをただの加害者として見るべきではない点だ。スーは若くて美しく、世界に受け入れられ、評価される存在としてエリザベスの理想から生まれた。それは、ある意味ではエリザベスの“願望そのもの”なのだ。

ならばスーの振る舞いも、もしかしたらエリザベスの無意識的な“自己否定”の現れと言えるのではないか。ああ、怖い。ホラーよりも怖い。

これを精神分析っぽく言うと、「内的リビドーの分裂によって、自己と他者を交換可能な存在に再構築することで、対象喪失に耐えようとする」とかになるのだろうが、簡単に言えば「若い自分を愛していたら、老いた自分が嫌いになっちゃった」って話である。もっと言えば「インスタの中の自分は好きだけど、鏡に映る自分は嫌い」というあの現代的病理と同根である。

“自分の価値”という問いに、あなたは答えられるか?

『サブスタンス』を観ていると、ふとした瞬間に「自分にとっての一番の価値基準って何だろう?」と考えさせられる。

それがエリザベスにとっては“若さ”だった。では、私にとっては? あなたにとっては? 見た目? 地位? 愛されていること? フォロワー数?

そして、それを失った時、自分は自分でいられるのか。

この映画は、観客にその問いを投げかけてくる。しかもそれは、静かに、けれど確実に、爪を立てるような問い方だ。上映後、しばらく席から立てない観客がいたとしたら、それはこの映画が成功している証拠だ。

美しさと残酷さ、その両方を映し出した映画

映画『サブスタンス』は、見た目の変化、年齢、身体、社会の眼差しといったテーマをベースにしているが、最終的には極めてパーソナルな問いにたどり着く。

「私は、私をどう思っているのか?」

スーがエリザベスを消そうとする時、それは単に物語の“山場”ではない。我々観客全員の心の奥で進行している、“自己評価”という名の静かな内戦のメタファーなのだ。

そして、その内戦の結末は……誰にとっても、きっと他人事ではない。

総括

『サブスタンス』は、“若さ”を巡るスリラーとしても、“自我”の寓話としても、一級品の作品だ。ホラーでもあり、SFでもあり、そして何より哲学的でもある。

観終えた後、自分の中にある「価値の物差し」が、ぐらぐらと揺れるような感覚。それこそが、この作品の“効能”であり、“副作用”でもある。あなたは、服用に耐えられるだろうか?

「サブスタンス」はスクリーンの中だけではない。現代を生きる私たち自身が、それぞれに心の中で抱えているのかもしれない。

余談

この動画を見て、私が言語化できなかったこの映画のイメージが、掘り下げることができると思う。ギレルモ監督の聞き手として、とても素晴らしい仕事をされている。

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