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実写版『ルックバック』感想|寂しさで泣く藤野より、「でもやるんだよ」の藤野が好きだった

LOOK BACK GEEKS RULE 映画・ドラマ
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藤本タツキの『ルックバック』。

アニメ版は、短編でありながら観終わったあとに言葉を失う作品だった。描くこと、出会い、別れ、そしてそれでも描き続けること。あの密度は、いまも鮮やかに残っている。

そして今回、実写版を観た。

方向性は、たしかに同じだ。京と藤野の関係、喪失、それでも残る「描く」という行為。大きな枠組みでは、アニメ版の延長線上にある。

なのに、最後だけが、どうしても違った。

私は、断然アニメ版のほうが好きだった。ただし、これは実写を否定したい話ではない。あくまで、私の好みの話だ。

実写にも、ちゃんと良かったところがある

先に、実写で良かったところを書いておく。

役者さんは、みな良かった。是枝監督の作品だけあって、子役の演技はとても自然だった。そして出口夏希さんへ切り替わる転換も、無理がなくて上手い。子どもの藤野が、そのまま大人の藤野になっていく感覚が、きちんとつながっていた。

あと、藤野と京が初めて会い、藤野が雨の中で嬉しさを爆発させるシーンも良かった。あの喜びは、ちゃんと届く。ただ、爆発具合そのものはアニメとは比較にならない。けれど、そこを比較する意味もないと思う。表現の土台が違うのだから、同じものさしで測らなくていい。

実写には、実写の良さがある。そのうえで、私はアニメ版の藤野のほうが好きだった、という話をしたい。

京と別れたあとの藤野が、そもそも違う

好みが分かれた最大の理由は、京と道を違えたあとの藤野の描き方にある。

映画では、その別離が「寂しさ」で整理されているように感じた。背景画は綺麗だ。アシスタントもテクノロジーもあって、見た目としてはきちんと仕事が回っている。けれど画面全体に漂うのは、「でも、京のほうがいいなあ」という余韻だ。失ったものの大きさは伝わる。ただ、藤野自身の現在地は、どこか静かな寂しさの側にある。

一方、アニメ版の藤野は違う。

寂しさよりも先に、無我夢中で一人でなんとかしようともがいている姿がある。もちろん、一人で週間マンガは描けない。アシスタントも雇っている。それでも、いいアシスタントがいないか相談するシーンは、和やかな職場風景ではなく、かなりシリアスに描かれていた。映画にあったような、アシスタントと和気藹々とする空気もない。切迫している。

同じ「京がいない世界」でも、映画の藤野は寂しさを抱え、アニメの藤野は一人で踏ん張っている。この差が、このあと来るすべてを変える。

だから、京が殺されたあとの爆発が違う

そんな折に、京が殺される。

お焼香をあげ、京の部屋の前に立つ。そこで藤野の自責が爆発する。この爆発の仕方も、直前までの描かれ方によって、まるで別物になる。

映画では、そのあとに淡々とif話が始まる。ロトスコープのシーンでは、背景画をやりたかった京とリンクする気配もあって、美しい。喪失を、もしもの世界で抱きしめるような処理だ。

アニメでは違う。

一人で頑張っている状況の只中で、自分が京と出会うきっかけを作ったことに気づく。その瞬間に、感情が爆発する。ただ悲しいのではない。「自分が始めた関係だった」という認識が、胸に刺さるのだ。

ここは作画もすごい。けれど、それ以上に、藤野を演じた河合さんの声がすごかった。あれは演技というより、感情そのものが声になっている瞬間だったと思う。

同じ自責でも、寂しさの延長で来る爆発と、踏ん張り続けた末に来る爆発では、質が違う。私には、後者のほうがはるかに刺さった。

最後の後ろ姿で、鼻を啜ってはいけない

そして最後のシーン。

仕事場に戻り、仕事をする姿を後ろから撮る。この構図自体は、アニメも実写も同じだ。だからこそ、ここに乗った音の違いが大きかった。

実写では、藤野の鼻を啜る音が聞こえる。泣いていることが、はっきり伝わる。

ここに、とても違和感があった。

あの場面、藤野は泣かない。少なくとも、私の中の藤野は泣かない。

この作品の本質は、「でもやるんだよ」だと思っている。どんなに悲しいことがあっても、どんなに辛いことがあっても、前を向いて、できることを精一杯やるしかない。京の部屋で藤野が認識したのは、「描かなきゃ」だったはずだ。

実写は、「寂しさ → 泣く」で感情の線は通っている。整合性はある。でも、私はアニメ版のほうが好きだ。泣く演出を置かず、しっかり前を向く藤野のほうが好きだ。

鼻を啜る音は、優しさとして置かれたのだろう。わかる。わかるけれど、あの後ろ姿に必要なのは涙じゃなかった。必要なのは、描き続ける背中だった。

結びに──喪失のあとに残るのは、描くこと

実写版『ルックバック』は、悪い映画ではない。役者も出会いの喜びも、ちゃんと届く。それでも、京を失ったあとの藤野を「寂しさ」で読むか、「踏ん張り」で読むかで、作品の体温は変わる。

映画は、別れを丁寧に寂しさへ回収し、最後までその余韻を残す。アニメは、一人でなんとかしようとする切迫の先に自責を爆発させ、それでも描く背中を見せる。

私は後者を信じる。実写を否定したいわけではない。ただ、私の好みはアニメ版のほうにある。

『ルックバック』が残すのは、「悲しかったね」ではない。「でもやるんだよ」だ。寂しさで泣く藤野より、泣かずに机に向かう藤野のほうが、この作品の本質に近い。少なくとも、私にはそう見えた。

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